この章の目的は「崩壊しつつある」と誰もが認識していたウクライナが、いかにしてロシアの軍事攻撃に耐え抜くことができたのか?という問いに答えることである。
ウクライナ | ロシア | |
1991年から2021年人口 | 5200万人→4100万人 | |
2015年から2020年 出生率 | 1.4人 | 1.8人 |
2020年 出生率 |
社会崩壊の指標として「営利目的の代理母出産」を見てみるとウクライナは安価な価格のおかげで世界市場25%を占めていた。
今回のウクライナ紛争はこの産業を抑止していない。
さらにマイダン革命以降ウクライナに存在した「自律的政治勢力としてのロシア語圏」が消滅した。
社会学的に見ればウクライナはロシアではない。
ロシアは共同体家族の社会であり、平均すると一世帯6.5人だが、ウクライナは4.7人である。ウクライナは父系性よりの核家族社会であったと推定される。
1917年11月の憲法制定議会選挙では「完全にウクライナ系」の政党の支持率がロシア語話者の多い地域と西部地域では全く違っていた。
ウクライナ系政党の支持率高い地域 | |
キエフ | 77% |
ポジーリャ | 79% |
ヴオルィーニ | 70% |
ポルタヴァ | 66% |
チェルニーヒウ | 51% |
ウクライナ系政党の支持率の低い地域 | |
エカテリノスラフ(ドニプロ) | 46% |
ヘルソン | 10% |
タウリデ | 10% |
ハルキウ | 0.3% |
このことから革命前の段階でウクライナ中央部においてはウクライナ・アイデンティティが存在していたことは疑いがない。しかし、ウクライナ系政党とロシア系政党が共同リストを出していたことから双方が平和共存が可能だった事実を示してもいる。
ソ連におけるウクライナ:殉教国から特権国へ
ウクライナ飢饉と比肩できるヨーロッパの飢饉というとアイルランド飢饉である。
皮肉なことにアイルランドの飢饉は「国家の介入を拒否する自由主義」によってもたらされ、ウクライナは「常軌を逸した国家集団主義」によってもたらされた。
しかし、第2次大戦後は航空産業と軍事産業を含む産業発展に関する優先地域となった。
ウクライナの人口密度を見ると西部のほうが明らかに人口が多い。しかし、東部には真の「都市部」が見られる。西部はほとんど都市が存在しておらず、農村地帯なのである。
1991年から2014年にいたる共産主義からの脱却の時代、ウクライナの人口指標はロシアの危機ほど深刻ではなかったことを示している。平均余命、自殺率、殺人率、アルコール中毒はロシアよりも良かった。これはウクライナの核家族構造がもたらしたものとは言えない。共同体家族構造のベラルーシはウクライナよりもさらに殺人率は低かったからだ。
ウクライナの失敗は中流階級が脆弱かつ未熟で、上層部はロシア語話者で形成され、国家的伝統もなかったためである。
その結果、ロシアは危機を乗り越え、プーチン政権のもとに再結集し、オルガリヒを国家に屈従させた一方、ウクライナは国家秩序は確立せず、オルガリヒは旧ソ連圏で最も社会的に重みをもつ国になってしまった。天然ガス取引、東部ウクライナの工業は完全にオルガリヒの支配下になり、マスコミもオルガリヒにコントロールされた。
ウクライナの失敗の原因は
- 核家族構造
- オルガリヒ
- 民族言語学的二元性
- 官僚の無能さ(ソ連時代にモスクワにのし上がるのに失敗した二流官僚たち)
- なによりも都市中流階級の全般的なもろさ
ウクライナ西部こそウクライナの中でナショナリズムが最も激化した地域である。この地域は多く東方典礼カトリックの信者であり、農村地帯にすみ、都市中流階級が少なかった。
ウクライナ東部の都市化が進んだ中流階級はウクライナ国家建設ではなく、ロシアに移住するほうを選んだ。
ウクライナのロシア語圏の衰退
2014年のマイダン危機後にロシア語話者でロシア寄りの自立した政治主体がウクライナから消えた。
ハリコフ大学は1804年
ロシアで最初に創立された大学の一つで、エンジニア関連の研究水準の高さで有名だったのに、ウクライナに隣接するロシアのベルゴロド州では博士課程の学生数がウクライナから流れ込み、増加している。(この時期、ロシアのすべて大学の博士課程の学生数は停滞、または減少していた)
ロシアはソ連崩壊時、ウクライナの独立を許し、ウクライナに含まれるロシア人やロシア語話者をロシア側に取り込むための国境是正も求めなかった。ロシア的要素がウクライナに残り続けることがウクライナに対するロシアの支配を永久に保証すると考えられていた。
しかし、このロシア語話者たちは農村由来のウクライナ語ではなく、母語であり、文化的にも高度なロシア語のほうを選んだ。
衰退していくウクライナ社会において、ウクライナ語話者のナショナリストの敵意の対象となる中で、隣で安定と繁栄を取り戻していくロシアに移住してしまった。
これはわずかにいたウクライナの中流階級、産業界の熟練労働者たちがロシアに流れてしまったということである。東部の町の実に20%以上が失われていた。
ウクライナは3つの地域に分けることができる。
- 西部ウクライナ ギリシャ正教系カトリックが基盤であり、主要な都市リヴィウの周辺はウルトラ・ナショナリズムである。→政治エリートが過度に多い。
- 中央部 正教会派で弱い父系制核家族構造を持つ。個人主義的であり、中央集権が崩壊する場所である。ここでオレンジ革命、マイダン革命が起こった。無秩序なウクライナと定義できる。→軍・警察エリートが過度に多い。
- 南部と東部はもともとロシア寄りであったが、中産階級がこの地を見捨ててしまった。家族構造としては強い父系制核家族構造である。今日ロシア軍に占領されていない場所はもはや地域として形を成していない。アノミー的ウクライナである。→オルガルヒしかいないが、これも戦争が始まってから周辺に追いやられたか、屈服させられた。
軍・警察内に中央部出身ウクライナ人がおおいことは核家族の基盤に由来するウクライナ中央部の無秩序的特性の裏返しである。ラテンアメリカに見られるように、軍と警察は一般的な気質の裏返しを体現している。
逆説的に見えるが、権威主義的文化は軍の強固な伝統を生み出すことはあっても、クーデターに有利な環境を生み出すことはない。ヒトラーもスターリンも自らの将軍たちを脅威に感じることはなかった。だからこそ、プーチンはプリゴジンの反乱をあまり恐れることはなかったのである。
→この説明は妥当だろうか?日本では226事件など権威主義的社会雰囲気の中で軍によるクーデターは頻発しているし、実際首相は殺されている。
2014年西部の「ウルトラ・ナショナリズム」のウクライナと「無秩序な軍事主義」の中央部ウクライナの同盟が「中間層の国外流出によって脆弱化したロシア寄りの東部・南部」に対立した。
そして小さくなった新しいウクライナ国民がロシアの攻撃に効果的に抵抗したのだ。
ヘルソンまでの南部地域へのロシアの侵攻は容易だったが、キエフ周辺で非常に強い抵抗に遭った。
ウクライナをウクライナたらしめているもの:憎しみ
ロシアはウクライナのネオナチを問題にし続けている。たしかにロシア西部ガリツィアでは、ナチスと協力してユダヤ人を虐殺した歴史がある。しかし、ウクライナを特色づけているのは反ユダヤ主義ではなく、反ロシアである。
ロシアのウクライナ侵攻以前からウクライナ全土に広がっていた「ロシア嫌い」こそ、この国を特色づけている。アゾフ大隊創設者の中核はロシア語話者だった。おそらく中流階級がロシアに流出した後に残され、見捨てられた下層階級の中の少数派による反発だったのではないか?
ウクライナが病的なまでにロシアへの執着心を示している。ネガティブな意味でロシアとの不可分性を明らかにしている。
ドンバスとクリミアは西洋諸国が言うように「ロシア語圏」ではなく「ロシア」である。
これを手放したくないというウクライナの断固とした態度は実はロシアとの離別を拒み、つながりを続けることを望んでいる無意識の力を感じることができる。
ウクライナの自殺
ウクライナには自由民主主義ではない。12~19の政党が禁止されている。
ウクライナの国家予算は西洋からの資金援助に依存しており、空中浮遊状態にある。
「代表失くして課税なし」という言葉は市民全体を代表するものがそのそもない。東部はもはや政治実体を失い、中央部と西部ウクライナの人々は多少代表されているが、それも確かではない。
EUと経済協力関係を結ぶことによって、残されていた東部の工業地帯(ロシアと結びついていた)を危機に陥れ、この国を再び農業国に戻すことになった。
都市の稠密な中間階級の形成はさらに遠くに押しやられ、つまりウクライナの「国民国家」はさらに遠くに押しやられることになった。
ロシア語を排除しようとする中央政府の執拗な働きかけにより、ウクライナ社会で文化やテクノロジーをもたらしたロシア語は撲滅に向かった。
2022年学校でロシア人作家について学ぶことが禁じられ、大学関係者がロシア語を授業で使用した場合、解雇することができるようになった。公職についている者がSNS上でロシア語のメッセージを投稿した場合は罰金が科せられる。ウクライナの公務員に英語習得を義務付ける法案を提出した。
ウクライナは段階的に自殺という形をとったのである。
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