西洋の敗北 第3章 東欧におけるロシア嫌い

東欧、わけてもエストニア、ラトビア、リトアニアのロシア嫌いは驚きである。たしかにエストニア、ラトビアには全人口の25%、リトアニアでは5%がロシア系住民である。だからこそ、ロシアを脅威に感じているとはいえる。

しかし、1917年の憲法制定議会選挙でロシア全体でのボルシェビキの平均得票率は24%だったのに、エストニアでは40%、リヴォニア(現在のラトビアとエストニアの一部)は72%だった。共産党支持率は家族類型が共同体家族である時に現れる。高い共産党の得票率は、バルト三国がまぎれもなくロシアと共通の価値観を持った社会なのであり、西洋とは異質の社会であることを示している。

東欧がロシアの影響力のもとに遭ったことの反動というが、ナチスに蹂躙された記憶も新しいチェコが国の基幹産業ともいえる自動車メーカー、シュコダをフォルクスワーゲンに売却することにこだわったが、これはチェコがあれほど抜け出すのに苦労したはずの「ゲルマン圏」に再び入る選択をしたに等しい。明らかに東欧はロシアから離れようとし、EUを選んでいる。

東欧は西欧とは別世界である。

西欧は12世紀から13世紀にすでに経済的離陸の端緒が見られた。1348年の黒死病の流行により、人口動態が崩壊し、農民が強い立場に立つようになり、農奴制の崩壊につながった。

一方、東欧では都市化がそもそも進んでいなかったため、西欧に比べて疫病の影響をそれほど受けず、地主の支配が強化され、エンゲルスが「第2の農奴制」と呼ぶ事態になった。

この「第2の農奴制」は穀物の生産を先進ヨーロッパに向けて輸出する体制だった。東欧は西欧に従属していたのである。

中流階級 第一幕

東欧がオーストリア、ロシア帝国に支配された時代は産業が勃興していた。ポーランドはロシア帝国支配下で識字化、新技術の普及により、バルト三国と共に帝国内の最も先進的な地域を形成していた。

しかし、帝国の崩壊とともに芽生え始めた中流階級がまだ未発達であったことに突き当たる。これは東欧全般に言えた。例外はチェコであり中流階級の形成に成功した。

第2次大戦が東欧に与えた影響を無視できない。東欧の中流階級が脆弱であったということは、中流階級の中で相対的に教育に熱心であったユダヤ人とドイツ人の比率が高かったという結果につながる。

ところが、ホロコーストにより、ユダヤ人は消えてしまった。ドイツ系の住民は例えば特に比率の高かったバルト三国において、、ヒトラーとスターリンの秘密協定によって純粋なドイツ人はヒトラーが取り戻し、ユダヤとの混血はソ連へと連行され、死んでいった。

第2次大戦はもともと脆弱だった東欧の中流階級をさらに衰弱させた。

中流階級 ソ連保護下での復活

ソ連圏内に入った東欧は文化面で最も先進的な地域となった。東ドイツ、チェコ、ハンガリーの産業である。国際基準からは質的に劣るものの、これらの産業が発展を遂げていたことは確かなのだ。

共産主義思想は「教育への執着」においてプロテスタンティズムと共通する。多くの東欧諸国では中等教育、高等教育を受けた層が増えた。ただし、チェコのみは最初の時点で他国より進んでいたが、伸び率はその後鈍化している。

いずれにせよ、ソ連支配下における教育の発展は新たな中流階級を生み出した。

再び西欧に従属する道を選ぶ東欧

東欧のロシア嫌いはソ連支配下で発展した中流階級が自分がソ連の支配のもとで、ソ連に保護され、育成されたという事実を直視しようとしない「不誠実さ」の表れである。

こうした東欧をEUに統合することは東欧と西洋の違いを無視して突き進むことに他ならない。東欧は西洋の空間に再び統合されることで、最も報われない経済活動に特化した「支配された周縁」という立場に再び置かれたのである。

全労働人口における第二次産業の比率(西欧)

イギリス18%
スウェーデン18%
フランス19%
ドイツ28%
イタリア27%

全労働人口における第二次産業の比率(東欧)

スロベニア30%
ルーマニア30%
北マケドニア31%
ブルガリア31%
ポーランド31%
ハンガリー31%
チェコ37%
スロバキア37%

中世には農業生産によって西欧に従属した東欧はソ連支配下で中間階級が育った。しかし、再び西欧に組み込まれることで今度はグローバル化した今の時代には工業生産で、基本的にはドイツに仕えることになった。

東欧のロシア嫌いは単にかつての占領者に対する(無意識のうちに抑圧され、受け入れられず、許されない)歴史的禍根なのかもしれない。

唯一の例外:ハンガリー

ハンガリーはオーストリア帝国を構成していた国としては珍しくカルヴァン派が20%もいる国である。

それはかつて約三分の一がオスマン帝国に支配されていたからである。オスマン帝国はキリスト教の分派にハプスブルグ家ほど関心を払っていなかった。

しかし、このカルヴァン主義は進歩と教育の宗教としてハンガリーの国民感情を醸成し、反ユダヤ主義の高揚を阻んできたのは間違いない。東欧で唯一ユダヤ人の統合に成功し、最も裕福なユダヤ人には貴族の称号も与えられた。

現在のハンガリーはロシア嫌いではない。

オルバン首相は何度も対ロシア制裁を拒否したり、妨げたりして、EU内部で「ロシアの味方」と非難されている。

  • ウクライナ西部のウジホロド州にハンガリア系住民がいる。ウクライナ政府による言語統一政策はハンガリーによく思われていない。そのような政策をとるウクライナ政府のため、(みすみす殺されることが分かっている)ドンバス奪還に行く気になれない。
  • ハンガリア人のみが1956年にハンガリア動乱でソ連に抵抗した。ロシアはその後ハンガリアでは特別に自由な地位を与えた。ハンガリア人が1989年に鉄のカーテンを打ち破ることができたのは、この自信のおかげだった。

    現在ハンガリーがロシア嫌いにならないのはこの自らに対する自信のおかげなのである。

誰かをスケープゴートにする時はスケープゴートにする側について教えてくれる。「ロシア嫌い」はロシアについては何も教えてくれないが、「嫌いだ」という側の抱く欠陥を露わにする。

ウクライナをはじめ、ロシアを嫌う東欧の中間階級の欠陥「自分を直視しない不誠実さ」が原因である。

共産主義が生み出した中流階級が、共産主義崩壊後には自国のプロレタリアートを西洋資本主義に差し出し、西洋にすり寄るためにロシアをスケープゴートにしているのである。

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