イギリスの混乱
- 正解の最上位レベルにおいて有色人種が重みを増している。財務大臣にはサジド・ジャビド(パキスタン)、リシ・スナク(インド のちに首相になった)、ナディム・ザハウィ(クルド系)、クワシ・クワーテン(ガーナ系)がそれぞれ就任している。
- 内務大臣プリティ・パテル(インド)
- スコットランド首相ハムザ・ユーサフ(パキスタン)
- 前述イギリス首相リシ・スナク(インド 妻はイギリス国籍を持たないインド人)
- ロンドン市長サディク・カーン(パキスタン)
本来、イギリスは白人のプロテスタントの国であり、カトリックへの反発から生まれたのである。「白人(そしてプロテスタント)が他より優れている」という暗黙の了解のもとに帝国を築いた国である。それが、そうではなくなった時、何が起きたのかを考える必要がある。
イギリス社会におけるマイノリティーたち
2019年時点で高等教育を受けている割合
白人 | 33% | |
黒人 | 49% | |
アジア人 | 55% | |
中国系 | 72% |
明らかに権威主義的家族構造を持つ、インドや中国系の優位が際立っている。
本来教育を推進する力を持つプロテスタンティズムはすでに力を失っている。
教育の成果は乳幼児死亡率と相関関係にあることが明らかになっている。教育の成果が上がるほど、乳幼児の死亡率は低くなるのである
ところがイギリスの白人層の乳幼児死亡率は3人/1000人である。黒人では6.4人/1000人である。これはつまり、本来のあり方を超えて教育面(政治面でも)アファーマティブ・アクションが存在していることを示している。
イギリスは混乱している。
2022年5月18日ガーディアンは「空腹を理由にスーパーで盗みを働いて捕まる人々を丁重に扱うように」という指示を受けた。
この時、同時に不法滞在移民を「ルワンダ」に強制送還することを決定した。もっともイギリスの最高裁はこの法を違憲と判断した。
ウィキリークスの創始者アサンジは在英エクアドル大使館に亡命していたがイギリスで収監され、アメリカに引き渡された。事実上、イギリスはアメリカの衛星国となったのである。
イギリスの崩壊は止まらない。
福祉国家の象徴であるNHSの統計によると2021年で新たに登録された医師の割合は以下の通り。
イギリス人 | 37% |
EU出身者 | 13% |
それ以外 | 50% |
もはや、自国民を治療する医師すら自国で育成できなくなったのである。
また、緊縮財政の時代に育ったイギリスの子供たちは1985年、5歳児の平均身長において200ヶ国中69位であった。専門家によるお身長は病気、感染症、ストレス、貧困、睡眠の質など生活環境全般の重要な指標である。
新自由主義はイギリスを完全に破壊してしまおうとしている。
その影響はアメリカよりもイギリスのほうが深刻である。というのも、イギリスの領土の小ささと国力の弱さが深刻ささせているのである。
- イギリスにはアメリカにある天然資源や大陸国家にはある戦略的深みがない。
- それは都市構造にも当てはまる。500万人以上の大都市はアメリカには15もある。しかしイギリスではロンドンだけである。
- 人口の一極集中はイギリスでは全人口の15%。これほどの集中は危険な形で社会を分断する要因となる。フランスは全人口の16%がパリ圏に集中するがフランスはイギリスの2倍の面積を持っているおかげで地方都市も文化的自立を保っている。
- イギリスの脱工業化は他国より少し進んでいる。2021年の労働人口中の工業労働人口は18%だった。フランスとアメリカは19%。ドイツは28%、イタリアは27%、日本では24%である。
- 経済の金融化はアメリカをしのぐ。アメリカではGDPの7.8%が金融産業だが、イギリスは8.3%である。
- アメリカは世界のほとんどの国に貿易赤字を抱えているが、そのアメリカに対してイギリスは赤字である。
イギリスの脆弱化の原因はイデオロギー(新自由主義)が大きい。イギリスは不条理なまでに民営化を進めた。これは保守党のみならず労働党もトニー・ブレアの下で進められた。以下は民営化、あるいは運営を民営化されたものである。
- 鉄道
- 水道
- 刑務所の運営
- 住宅手当などの財政業務
- 道路清掃
- 学校運営
- 刑務所運営
- 大規模情報システム
- 高齢者や障碍者向けの福祉サービスの大半
経済崩壊の背後にある宗教崩壊
エンジニア不足は深刻である。2020年の学生中のエンジニアの割合をいかに示す。
イギリス | 8.9% |
アメリカ | 7.2% |
ドイツ | 24.2% |
ロシア | 23.4% |
こうしたエンジニア不足に民営化、外部委託、減税では対処できない。
エンジニア要請を優先させない政策はすべて失敗になるのである。
マーガレット・サッチャーの有名な言葉を思い出す。「『社会』というものは存在しないのです」
この言葉は「社会」そのものを破壊したいという願望を示しているのかもしれない。このニヒリズム、すなわち、社会的道徳の消失の原因は「プロテスタンティズムの最終的な崩壊」である。宗教的空虚こそ、新自由主義の究極の真理なのである。
プロテスタンティズムはいかなるものであったのか?
プロテスタンティズムの特徴
・神との対話のため、個人が自らの奥深くに沈潜していく点。これは内面化を伴う。そして集団意識の強化を伴う。
宗教改革は教会の支配の排除を意味しなかった。極めて緩やかで、日常生活の中にはほとんど存在しなかった権威が、公私のあらゆる分野に浸透し、厳しい行動規律を課す権威に取って代わった。(マックス・ウェーバー)
- 「聖書のみ」と主張するプロテスタンティズムは聖書を読むために大衆に識字化を求める。プロテスタント諸国が教育面だけでなく、経済面でも先行したのはこのためである。
- 予定説。「あるものはあらかじめ選ばれており、あるものはあらかじめ地獄に落ちることが定められている」という信念はアルミニウム派によってやわらげられても「人間はみな平等」とは決して考えなかった。
- 私たちが地球上にいるのは、労働と貯蓄をするためだという消費社会とは対極的な労働倫理。
- 性的な意味ではピューリタニズムは禁欲を指していた。
プロテスタントの国々はどの国も経済的に成功している。例外はない。
プロテスタントの弛緩と復活
1730年から1740年にかけてパリ盆地のカトリックの半分が崩壊した時、イギリス・アメリカのプロテスタンティズムはさほど厳格とは言えない局面を迎えた。
その後、イギリスではフランス革命と産業革命の脅威に直面し、「天罰への恐怖」から信仰の復活が起こる。1851年の宗教調査でミサ出席率はロンドンで40%、ミッドランド地方では44%から50%。
イングランド全域の平均は66%、ウェールズでは84%だった。
19世紀に再興したプロテスタンティズムは地理的様相を見せる。イングランド南東部、ロンドン周辺ではイングランド国教会が支配的となり、イングランド北部、ウェールズ、コーンウォール(イングランド再南西端の半島)ではメソジストを中心とする非国教徒プロテスタントが中心だった。工業労働者階級の地域と非国教徒の一致こそ、イギリスの歴史において宗教と階級が見事に絡み合った理由を教えている。
活動的プロテスタンティズムからゾンビ、そしてゼロへ
1870年から1930年の間に崩壊したのはこの2つのプロテスタンティズムだった。宗教実践は衰退する一方、宗教の社会的価値観は存続し、教会が定める通過儀礼も存続し、洗礼、結婚、埋葬のいずれも行われる。しかし中流階級で出生率が低下しているのは「生めよ、増やせよ」という聖書の教えがもはや尊重されていないことを示す。
プロテスタンティズムの枠組みを失ったイギリスはナショナリズムの勃興と共に第1次大戦に突入する。
この亡霊のようなプロテスタンティズムこそが1939年から1945年にかけてのイギリスを団結力があり、効率的で道徳的な集団として存続させたのである。
第2次大戦後、西洋全体で宗教へのわずかな回帰があった。出生率は上がった。
1960年代に高等教育の発展により、社会が階層化し、アトム化した。洗礼の数が減少し、婚外関係が激増し、離婚、再婚、片親世帯の数も増加し、火葬は急増した。火葬に関して1888年は葬儀全体の0.01%だったが1939年には3.5%、1947年には10.5%、1960年には34.7%になり、2021年には78.4%である。同性婚が合法化されたのが2014年であることも、この国でキリスト教が終焉したことを示している。
自由主義はプロテスタンティズムを背景としていたが、新自由主義は宗教が死んだ後の「道徳を欠いた人間、金の亡者」を生み出した。
社会と政治の崩壊
このプロテスタンティズムの変遷の概念によって、イギリスの社会史を区分できる。社会構造の再生産システムとして教育を見てみよう。
- 1880年から1960年にかけて
パブリックスクールにおいて宗教は形式的なものとなったが、カルヴァン的厳格さは色濃く、節度と感情の抑制という倫理の下で、貴族階級の子供たちは信中流階級上層部の子供たちと融合した。ストイックさの反動としてのユーモアのセンスもここで育った。
学校を通じて帝国統治に適した指導者階級を養成することが目的だった。
- 1960年から1970年、そしてそれ以降
パブリック・スクールは1930年代にはすでに厳格さを失いつつあったが、1960年代から1970年代の文化革命により一層厳格さを失った。
現在、上位6%の特権階級の子弟を対象とし、高度な教育と高度な設備を備えているが、古い倫理に関してはほぼ何も残っていない。パブリック・スクール(インディペンデント・スクール)はプロテスタント・ゼロ状態を再生産しているのである。
イギリスの社会観は伝統的に「ワーキング・クラス」と「それ以外」というものである。これが二大政党制の基礎を築いていた。
しかし、1920年にはサービス業がイギリスの高揚全体の51%を占め、社会構造の重心は「下位中流階級」に移っていた。
保守党と労働党の支持層はイングランド国教会派と非国教会派の対立に由来していた。宗教が失われ、ゾンビ状態になっても、この宗教的傾向はかつての地理的な偏りと重なる合うことで理解できる。
そして宗教の終焉は工業の終焉へとつながっていった。工業経済の衰退は、それを基盤としてきた労働党の基盤を侵食したのである。
もはや保守党も労働党も基盤となるものを全く代表していない。トニーブレア以降労働党は保守党との違いを打ち出せなくなっている。イギリスはその基盤と方向性を失ってしまったのだ。
労働者階級への憎しみが人種差別に取って代わるとき
イギリス人にとって白人の労働者は「別人種」であった。白人大衆層への憎しみが社会の上層部であまりに激しくなってしまったために、BAME(少数派)を特に黒人を優遇するという事態が生じたのである。
ブレグジットによってEU残留はの高学歴者と離脱を望んでいた「中等教育までしか受けていない人々」の和解には至らなかったのである。ちなみに高等教育を受けた人々がイギリス全体を支配しているというのではない。高等教育を受けたオリガルヒ(スーパー・リッチ)が支配しているのである。
ブレグジット以降、高等教育を受けた人々は、大衆が嫌うような「多様性」「少数民族」「移民」といった事柄をますます好むようになった。
EU残留に投票した大卒のうち、移民の減少も望む人の割合は20ポイントも減少し23%となった。一方で移民の増加を望む人の割合は3倍となり、31%となる。
BAMEの人々の高等教育への特権的なアクセスを示す奇妙な統計はイギリスの上層中流階級による大衆への復讐といった面があるのである。
もはやイギリスは方向性喪失と不安に満ち、スケープゴートを必要としているのである。EU離脱に賛成した高齢者と労働者階級にはヨーロッパがスケープゴートだった。EU残留派には、現在、ロシアがスケープゴートなのである。
もはやイギリスには宗教意識も、国民意識も、党派意識もない。お互いに憎しみをむき出しにした分断があるのみなのである。
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