西洋の敗北 第5章 自殺幇助による欧州の死

「制裁は非常に有効だ。経済・金融制裁は恐ろしいほど効果的だ。…我々はロシア経済を崩壊させるだろう」(2022年3月1日フランス経済・財務大臣ブリュノ・ルメール)。

経済制裁は実際に発動されたが、破壊されたのはロシアではなく、発動した側のヨーロッパだった。インフレ率の大幅な上昇で苦しんだが、ヨーロッパの指導者は苦しまなかった。寡頭制のもと、苦しんだのは「彼らとは世界が違う」下層民たちだった。

ユーロ圏の貿易収支は2021年の1160億ユーロの黒字から2022年には4000億ユーロの赤字に転落した。

トッドはロシアからドイツへのガスパイプライン「ノルドストリーム」の破壊が合衆国が決定し、ノルウェーが協力したというシーモア・ハーシュの見解を支持している。ノルウェーはロシア産の天然ガスを補填するため自国の天然ガスを増産していたが、その貿易黒字はとてつもないものになっている。

宗教ゼロの時代に突入した、虚無の広がるヨーロッパには人々を再結集させるための何かが必要だった。そこにプーチンの「特別軍事作戦」が起きた。

EUはコントロール不能であり、単一通貨は不均衡をもたらした。ウクライナ戦争に対するヨーロッパの反応は「自殺の衝動」の表明だったのかもしれない。

そして「EUに軍事的な自殺幇助による死を与える」というアメリカの役割も見逃せない。

ドイツという「機械社会」

信仰を失ったドイツは直系家族という人類学的システムによって支えられ、イデオロギーの死にもうまく耐え抜いたが、代償はあった。それは「経済的効率性そのものへの執着」である。

2022年時点ではウクライナ人、ルーマニア人、など東欧諸国の外国籍人口が目立って多い。これはドイツ産業経済が東ヨーロッパの労働人口を自由に使えるようになったことを意味する。

ドイツはその代償を払うことになる。社会は階層化し、硬直化している。中流階級はヨーロッパ各国に比べ、若干早く縮小し、社会ピラミッドの両端における社会的流動性もいち早く低下を始めた。

2003年から2005年のハルツ改革(シュレーダー政権下)で非正規雇用を大量に生み出した。

2012年、ノルドストリームが完成し、アメリカに軍事面では頼りながら、経済的にはロシアとのパートナーシップを開始した。軍事向けの労働力と投資を節約し、民間の輸出を支えるという選択の結果であり、軍事手段としてのドイツ連邦軍は重要ではなくなっていった。

そして、この状態のままドイツはウクライナ戦争に加担することになる。

一貫性のない行動の組合わせは自らの行動について全体像を描いている社会の特徴である。

しかし、よく考えればアメリカがドイツとロシアの接近を喜ぶはずもなかった。

活動的国民と無気力国民

識字化によって宗教が捨てられた後、国民という集団的信仰によって「政治的に目覚めた民衆」が現れた。しかし、宗教の完全消滅に伴い、「国民という集団的信仰」さえも崩壊し、「無気力国民」が出現する。

すなわち、自覚はなく、まさに物理学的な意味で惰性のままにある軌道を進んでいくようなタイプの国民である。これはドイツと同じ直系家族である日本も同じ状況である。

直系文化でリーダーである不幸

直系家族というのは長男が結婚後も父母と共に暮らし、父親の死後はほぼすべての財産を受け継ぐ家族構造である。下の兄弟たちは結婚と共に父母の家を出ていかなければならない。父親の死後の財産は兄に比べ、わずかであり、金銭や小さな土地があてられることが多い。

このような社会では兄弟間の不平等が社会を見る目にも投影される。不平等に対する肯定により、このような社会のリーダーは「わが国は他国より優れている。だから他国はわが国に従わなければならない。」と考えるようになる。

ロシアや中国のような共同体家族の場合、権威主義は平等主義によって補正される。兄弟間の平等が人間の平等と民族間の平等につながる。すべての「極」は他の「極」と対等な関係であり、それぞれの「極」はその勢力圏において権威的に存在するというビジョンである。したがってウクライナがロシアと対等だとはロシアの指導者は考えつきもしない。

ドイツのような(そして日本のような)直系家族の社会において、権力の座に就くということは、きわめて不安なことなのである。常に自分より上の権威によって安心感を得る精神構造の社会にあってリーダーになるということは自分に安心感を与えてくれるような上位の権威は存在しないということなのだ。

こうした不安感が権力をうまく制御できない両国(ドイツと日本)の無能力さの構造的原因である。フランスとイギリスを敵に回しただけでなく、ロシアと念入りにもアメリカをも敵に回したヴィルヘルム2世しかし、自国とは比べ物にならない当時世界最大の経済大国アメリカに挑んでいった日本の指導者たち。

今回、ドイツはエネルギー面かつ経済面で不可欠であったロシアと断交することで自国の利益を放棄し、さらに自国の経済の生命線であるはずの中国との関係を台無しにした。ウクライナ危機に遭ってドイツは自らの拡張するチャンスを拒否している。

一つにはこの国がかなり年老いており、年齢の中央値が46才であることを考える必要がある。老人は冒険など好まないのである。また、歴史的経緯から善の側につくことを熱望しているともいえる。

しかし、真の理由は今日のドイツには国民意識も全体としての行動指針もないことから直系システムの中でリーダーであることがより困難なものになっているという事実だ。不安の中でドイツは受け身になっている。

しかし、これは長期的にはドイツにとってマイナスになるばかりでもなのかもしれない。NATOがいったん敗北した後、ロシアと和解するドイツも予想されるのである。

ヨーロッパ(と日本、韓国)以外の人の目には明らかなのは「アメリカの力は衰えつつあるということ」だ。

1945年には世界の45パーセントを占めていた工業生産は今日ではたったの17%である。しかもこの17%という統計さえ実は怪しい。大英帝国の縮小の当然の帰結としてアメリカ帝国の縮小をすでにインドはとらえている。(スブラマニヤム・ジャイシャンカル インドの外務大臣『インド外交の流儀 先行き不透明な世界に向けた戦略』)そしてイラン、サウジアラビア、中国、タイなど多くの国が気が付いている。

おそらく、世界中でアメリカ・システムが縮小していく中で「第一の保護国」(ドイツ・日本)への圧力はむしろ増すであろう。なぜなら衰退途上にあるアメリカはこれらの国の工業力を必要としているからだ。

NATOの存在意義はもはや西ヨーロッパを保護するためではなく、支配するためである。

ウクライナ戦争前夜の2021年アメリカの対EU貿易赤字は2200億ドルだった。

これに対スイス400億ドル、対日本600億ドル、対韓国300億ドル、対台湾400億ドルの貿易赤字を加え対ノルウェー4億ドルの貿易黒字を差し引くとアメリカの対同盟国(保護国および属国)の貿易赤字は3930億ドルとなり2021年コロナで減少したはずの対中国貿易赤字3500億ドルを上回っている。

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