ロシアは出生率が低下している人口動態により、いかなる領土の拡大も望めないことが分かった。
この国は最近になって均衡を再び見出し、なんとかそれを維持しようと努めているのである。
一方、ウクライナ一国で世界を混乱させるのは不可能である。
また、東欧はその長い歴史の中で、ロシアではなく、西洋によって翻弄されてきたのだということが明らかになった。
世界の混乱の原因はしたがって西洋にあるのである。
西洋の発展の中心とその根源にあるのは家族構造、宗教である。
すなわちプロテスタンティズムのことである。プロテスタンティズムこそが西洋の飛躍の基盤であったということは、プロテスタンティズムの死は「西洋の敗北」の原因となっているのである。
ある「衰退」が可逆的か不可逆的化を予測するためには、その「発展」の原因も突き止めなくてはならない。「国民国家」の消滅を説明するには「国民国家」を誕生させた力をもまた明らかにする必要がある。
二つの「西洋」
狭義の「西洋」は自由主義的かつ民主主義的革命を成し遂げたかどうかが基準となる。すなわちイギリス、アメリカ、フランスである。
広義の「西洋」は教育の離陸と経済発展から見た西洋だ。イギリス、アメリカ、フランス、イタリア、ドイツ、日本が含まれる。必ずしも自由主義的ではない。
- プロテスタンティズムこそヨーロッパの経済発展の基盤
プロテスタンティズムとヨーロッパの経済発展の間の関係は識字化にある。「聖書のみ」と標榜したプロテスタント信者は聖書を読むことを前提としているゆえに各地に学校を作り、人々を識字化した。
そして読み書きできる人々の存在が技術および経済の発展を可能にしたのである。すなわちプロテスタンティズムは非常に有能な労働力を形成したのである。西洋のプロテスタンティズムの中心は「自由主義」と「権威主義」という二つの構成要素にまたがっていると言える。一つはアングロサクソンの世界。もう一つはドイツである。
- プロテスタンティズムの不平等観
プロテスタンティズムの良い側面は教育と経済の発展があり、「国民国家」の原動力でもあった。一方、悪い側面は「人間は不平等だ」という考え方がある。
聖書は土着の言語に訳されるべきだとしたことで、ルターとその弟子は国民文化の形成と、好戦的で明確な自己認識を持つ、強力な国家の形成に大きく貢献した。例としてクロムウェルのイギリス、グスタフ・アドルフのスウェーデン、フリードリヒ2世のプロイセンである。
プロテスタンティズムは聖書を読みすぎたことで「我こそは神に選ばれし者」という意識を人々に植え付けた。
広義の「西洋」の定義からすると、「西洋とロシアの根源的な対立」という見方は奇妙である。
直系家族的ドイツがナチズムを、共同体家族のロシアが共産主義を生み出したのだが、その全体主義の安生に関していえば、ドイツとロシアはいとこ関係に近い。
読み書きの能力が民主主義の基盤であるというのは単にそれによって新聞を読み、投票用紙の解読が可能になるからというだけではない。「すべての市民の間での平等」という観念が育まれるからだ。読み書きは聖職者の独占物だったが、今やすべての人のものとなった。
しかし高等教育の進展によって一世代の30%~40%の人々は「自分は真に優れている」という感覚を与えるようになった。これが西洋の分断の根本的な原因なのである。
民主主義の理想は「人々の社会的条件をなるべく近づける」という観念を含んでいた。しかし今日では「高等教育を受けた人々」は第一次産業、および第二次産業の従事者を尊重しなくなり、どの政党に属していようが、根底では、自らが高等教育で身に着けた価値観こそ唯一正当なものだと感じている。このようなエリートは自分以外の国民を代表することなど絶対にできないのである。
西洋のリベラル寡頭制とロシアの権威主義的民主主義
「自由民主主義」の「自由な」とは多数決の暴力を柔らげる「少数派の保護」を示している。ロシアでは少数派は口を封じられている。このような体制を「権威主義的民主主義」といえる。
西洋については多数決による代表制が機能していない以上、民主主義ではない。しかし「少数派の保護」については強迫観念にまでなっている。
「少数派の保護」というのは黒人や同性愛者が思い浮かぶ。しかし最も保護されている少数派は全人口の1%、あるいは0.1%、0.01%をしめるオリガルヒである。西洋では「自由民主主義」と呼ばれているが現実には「リベラル寡頭制」である。
一方、ロシアでは少数派は保護されない。同性愛者は保護されないが、オリガルヒも保護されない。
西洋の寡頭制は制度と法律は何も変わっていない中で、慣習として根付いていた民主主義は消滅してしまった。高等教育を受けた階級は自分たちこそ本質的に優秀だと考えるようになり、ポピュリスト的行動へと追いやられている民衆を代表することを拒む。
選挙が続く限り、民衆は経済の運営と富の配分からは遠ざけられなければならないのである。つまり民衆をだまし続けなければならなくなるのである。
だからこそ、今日西洋社会ではエリートたちは「人種」や「民族」の問題をヒステリックに取り上げ、結果を伴わないおしゃべりをしている。
不可逆的プロセス
教育による新たな階層化は初等、および中等教育しか受けていない人々を軽蔑するような高等教育を受けた階級を生み出し、前者は後者に不信感を抱いている。
生活水準の大幅な向上と強く結びついた教育の階層化は集団的信仰と集団が持つ力を破壊した。(社会のアトム化を促し、アイデンティティを粉砕した。)
キリスト教はあらゆる集団的信仰の「宗教的原型」である。まず、ミサへの出席率と新任聖職者の減少によって検知される。
第1段階として、宗教的実践と宗教的統率の弱体化によって宗教のゾンビ状態を生み出す。この段階で宗教は消滅するが、その宗教の慣習と価値の本質的な部分は存続する(特に集団として行動する能力)。宗教のゾンビ状態においては、宗教を代替する信仰が出現し強力な政治イデオロギーとなり、個人を組織化し、構造化する。しばしば激しいナショナリズムに傾倒する国民国家というのは「宗教のゾンビ状態」の典型的な表れである。
プロテスタンティズムに関してはプロテスタンティズムが常に国民国家的宗教であり、牧師は基本的に公務員だったことは忘れてはならない。
第2段階として宗教から受け継いだ慣習と価値観も、やがては衰えるか破裂し消滅する。「宗教のゼロ状態」である。国民国家が解体され、グローバル化が勝利する。いかなる集団的信仰も失った個人となる。個人は「虚無」によって巨大化するよりは矮小化するからである。
プロセス全体の長大さそのものが、こうしたプロセスとその帰結の不可逆性を示している。
国民感情、労働倫理、拘束力のある社会道徳、集団のために犠牲となる能力を欠いていることが西洋の「弱さ」の原因である。
宗教 活動的状態、ゾンビ状態、ゼロ状態
宗教とは家族生活、性的生活、芸術、金銭観念にまで及ぶものである。この宗教がどのような状態であるかを見ることで社会の変容を見ることができる。
- 活動的段階ではミサへの参加率が高い。
- ゾンビ状態ではミサに行く習慣は消滅するが、誕生、結婚、死という人生の区切りとしての三つの儀式はキリスト教から伝承されたものによって執り行われる。また、教会が長い間拒絶し続けてきた仮想は執り行われない。
- キリスト教ゼロ状態では先例がなくなり、仮想が大規模に行われるようになる。
婚姻についてはゾンビ状態でもキリスト教の婚姻の本質的な特徴は保たれている。人類学者はキリスト教的婚姻の消滅の正式な日付を確定できる。同性婚の合法化の日である。
2000年代に各国で同性婚が合法化されたことでキリスト教自体が消滅していく。その中でカトリックとプロテスタントの融合が見られる。
ニヒリスト的逃避
個人というのは集団においてのみ、また集団を通してのみ大きくなることができる。
あらゆる集団的信仰(形而上学的信仰、共産主義的信仰、社会主義的信仰、国民的信仰etc.)から解放された私たちは、小さくなり自分の頭で考えず、不寛容の度合いにおいてのみかつての宗教の信者に劣らない。
集団的信仰とは、人々がともに行動するために共有している考え方というだけにとどまらない。集団的信仰は個人を形成するのだ。他人に認められた道徳規律を個人に教え込むことで、集団的信仰は個人を変化させる。
そして個人主義的核家族型の人類学システムであるイギリスとアメリカにおいてニヒリズムは最も完成した形で広がっている。
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